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パソコン教室経営の第一人者

創業当初から「BUNちゃん先生」の愛称で生徒の皆様から親しまれてきた、パソコン教室わかるとできるの講師である、硲弘一(さこ ひろかず)。わかるとできるの生みの親でもあります。

今から20年前、わかるとできるが創業する以前は、パソコン自体がまだ貴重品であり導入している企業もそれほど多くありませんでした。当然ながら、そのようなパソコンを教える教室などはほとんどなく、情報処理の専門学校で技術を学ぶか、雑誌などで独学で技術を身につける手段がほとんどで、企業導入の際に技術者が派遣されて個別指導を受けても、専門用語ばかりでなかなか理解できない…そのような時代が長く続きました。

転機は、Windows95の発売です。パソコンが企業に普及しはじめ、ノートパソコンが発売されて個人でもパソコンを所有する時代になりました。2000年にはパソコンの出荷台数が1,200万台を突破、空前のパソコンブームとなりました。

当時、学習塾を経営しつつ商工会議所でコンピューターを教えていた硲は、コンピューターを勉強しに来る生徒に中高年の方々が多いことに驚きました。ちょうど不況の嵐が吹いていた頃で、リストラで職を失った人たちが必死の思いで苦手なコンピューターを覚えようとしている。その姿に硲は心打たれ、生徒指導の経験とノウハウをパソコン教育に活かしていきました。中高年の生徒たちを自らの体験談を交えて激励しながら丁寧に説明を尽くす授業はあっという間に大人気となり、和歌山県の人口2万人の町に開校したパソコン教室は大盛況となりました。授業を心待ちにしている生徒のために、硲は授業を収録して、いつでも、だれでも、わかりやすい授業が受けられる映像授業の仕組みを作り始めました。これが「パソコン教室わかるとできる」の始まりです。

硲が始めた初心者向けパソコン教室は、フランチャイズ・パッケージとなりブームにも乗って瞬く間に全国に拡がっていきました。さらに、2001年には政府が「e-Japan戦略」を打ち出し、全国の地方自治体にパソコン初心者に対する「IT講習会」の開催を要請し追い風となりました。約550万人の受講生がいたとされるIT講習会において、一部の教材を制作するなど、当時の情報リテラシーの修得に「パソコン教室わかるとできる」は貢献していきました。

その後、映像教材による競合教室は数多く開校しましたが、その中でわかるとできるは、教材開発のスピードとわかりやすい授業内容で高い評価を受けて今に至っています。パソコンやインターネットが急速に進化しニーズが多様化する中で、トップの座を走り続けるのは容易なことではありません。硲は、「パソコン教室経営の第一人者」として、常に現場・生徒の声を聞き市場のニーズをサービスに反映させる創造力を磨き続けています。

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